【気の実験考察】情報空間の“格”がすべてを決める──非言語エネルギーの限界と突破口
- magic bicycle
- 6月16日
- 読了時間: 4分

こんにちは。世界で学ぶ催眠術師、かずきです。
今回は「気」の実験から得た、とても深い学びをお届けします。
非言語のアプローチ、つまり“気”で人に影響を与える――それは気功や催眠の世界ではごく当たり前の技術です。しかし最近、私はこの技術に明確な限界と法則性があることを、ある実験を通して強く実感しました。
■ 気は誰にでも通じるわけではない
気功師は、言葉を用いずに「気」だけで相手の心身に影響を与えます。しかし、私が日々体験している感覚はこうです。
「自分が“格下”だと感じた相手には、気のアプローチは通じにくい。」
これはただの感覚的な話ではありません。明確に、エネルギーが届かないのです。まるで巨大な岩に水をかけているような、無力さ。逆に「自分の方が格上だな」と感じる相手には、言葉すら不要。呼吸、視線、わずかな気の変化だけで、深い変性意識へと導ける。
この現象の背後には、**東洋的な「氣」と「徳(とく)」、そして「場の位相」**が深く関わっていると私は考えています。
■ 見えない身体、“情報身体”とは何か
私たちが普段意識している肉体とは別に、「情報身体」とも呼べる、目に見えない存在がある。これは密教や道教、古代中国医学で語られる“気の身体”に近い概念です。
この“情報身体”が大きければ大きいほど、相手に与える影響力も、防御力も増します。現代風に言えば、情報空間における「階級」*のようなものでしょう。
たとえば、私がある友人(高IQ、多才、かつ強い精神的自律を持つ人物)に対して「気で眠らせる」実験を行ったとき
普段通りのマッサージで気を送る → 効果なし
気の吸収によって枯渇させようとする → 吸えない、まるで大木に挑むような手応え
催眠の後頭部アプローチ → 暗示がまったく入らない
全てが不発だったのです。
彼の情報身体が、私の気の働きを完全に跳ね返していた。そしてその背景には、無意識レベルで構築された防御(エネルギー的なバリア)があったと考えられます。
■ バリアと凝り:気を通さない身体の構造
この友人は、外出後すぐに肩や首がガチガチに凝る傾向があるのですが、姿勢や身体の使い方はむしろ良好。それでも異常に凝る。
この現象は、彼が無意識に「外の低レベルなエネルギー」から身を守るために、肉体を硬直させて防御バリアを張っていることによるのではないか、と私たちは仮説を立てました。
実際、他のスピリチュアル職業に就いている友人たち(占い師やエネルギーワーカー)も、日々バリアを張っている影響で肩や腰に慢性的な凝りを抱えています。
これは身体に現れた“情報身体の防御反応”であり、現代人が見逃しがちな「氣の病理」と言えるかもしれません。
■ では、どうすれば“格上”の相手に気を通せるのか?
そこで私は次の方法を試しました。
相手自身をS極とN極に見立て、自己のエネルギーを放出させてバリアのエネルギー源を枯渇させる
その後、物理的なマッサージで筋肉を緩める
緊張が解けた瞬間に、再び瞬間催眠で暗示を送る
結果、ようやく暗示が入り始め、エネルギーも通り出した。しかしそれでも、眠らせるまでは至りませんでした。
その理由は明白でした。
「今回の目的が“実験”であって、相手が“本当に眠りたい”と思っていなかったから。」
ここで見えてきた真理は、
“氣”は、相手の「本心」と「世界との一致」がある時にこそ、本当の力を発揮する。
■ 世界と氣が味方するとき:民衆の無意識と偽のゴール
私たちはしばしば、無意識に“世界の構造”に従っています。例えば、お金というゴール。これは支配層によって設定された「偽の目標」です。
彼らは「お金があれば幸せになれる」という幻想を植え付け、民衆の無意識を操作することで、自らの地位を維持している。一見すると逆らっているようでいて、実は世界(=集合意識)という氣の流れを味方につけているのです。
だからこそ、彼らには“氣の影響”すら届かない。
■ 結論:氣で通じないなら、意志と物理で突破せよ
この体験を通して私が得た最大の教訓はこれです。
自分より“情報身体”の大きい相手には、「氣」だけでは足りない。“意志”と“物理的接触”を通してアプローチせよ。
そして、気で何かを変えたいときは、次の条件が揃っているかを確認すること。
相手がその状態を心から望んでいること
自分と相手が共通のゴールを持っていること
そのゴールが世界と調和したものであること
この3つが揃ったとき、氣は自然と流れ、自分が本来持っている以上の力を発揮できるのだと、私は確信しています。
次回の実験へ
今後は、氣と意識、そして物理の融合をどのように応用できるのか、さらに探究していく予定です。
見えない世界は、見える現実よりも論理的で、奥深く、そして自由です。
また気づきがあれば、このブログでシェアします。ご興味ある方は、どうぞお楽しみに。
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