【氣とクリエイティビティ】なぜ私はある人のマッサージで元気になり、ある人では疲れ果てたのか?
- magic bicycle
- 5月6日
- 読了時間: 5分

こんにちは。世界で学ぶ催眠術師、かずきです。
私はここ数年、旅を共にする友人──というか、もはや師匠のような存在に、趣味としてマッサージの練習をしています。彼は音楽家であり、医師であり、そしてIQ200を誇る天才的な人物。身体の構造や神経、筋肉の働きに精通しており、マッサージのたびに専門的なフィードバックをもらえるので、私にとっては非常に貴重な学びの時間でもあります。
不思議な“逆転現象”:マッサージしているはずの私が元気になる
彼に対して1〜2時間ほどかけて全身のマッサージを行うのですが、毎回驚くのは、マッサージをした“私のほう”が元気になっていることです。施術後には顔が引き締まり、むくみが取れたような感覚とともに、若返ったような印象すらあります。
最初は身体を動かしていたからかな、と思っていました。
ところが──ある女性2人の施術後、私は動けなくなった
ところが先日、ジョージアで出会った40代の日本人女性二人にマッサージをしたところ、異様なほどの疲労感に襲われました。終わった直後から全身がだるくなり、翌日は布団から出るのもつらいほど。
同じ「マッサージ」なのに、なぜここまで結果が違うのか?
私はこの疑問を真剣に考えました。
違いは「氣の質」、そして“生き方”だった
その女性たちは、身体の筋肉や姿勢に明確な不調が見られたほか、会話の端々からも「日常の停滞感」がにじみ出ていました。学びも挑戦もなく、昨日と同じ今日をなんとなく繰り返す。そんな生き方をしているように感じたのです。
一方、私の友人は、常に新しいことを吸収し、誰かの役に立つために自らの能力を磨き続けています。その“生き方”が、氣の質となって身体に宿っている。
私はそう確信しました。
医者はなぜ寿命が短いのか?──氣という視点からの考察
こんな話があります。医者の平均寿命は、一般人より約10年短いと言われています。
その理由としてはよくこう言われます:
精神的ストレス:医療ミスへの責任、訴訟リスク、緊張の連続
長時間労働:当直、休日出勤、夜勤などの過労
しかし──同様のプレッシャーを受けている職業は他にもあります。
職業 | 状況 |
弁護士・裁判官 | 高度な責任と緊張感があるが、長寿傾向も報告されている |
研究者・大学教授 | プレッシャーや競争はあるが、比較的健康的な長寿 |
自衛隊・警察(内勤) | 過酷だが、健康管理が徹底され、長寿例が多い |
では、なぜ医師だけが寿命を縮めるのか?
“氣を浴び続ける”というストレス
東洋医学やエネルギー療法には、こんな考えがあります。
「氣の毒を受ける」── 他者の病気・不安・死などの“病的エネルギー”を、日常的に浴び続けることで、施術者の氣が摩耗していく。
病院という空間は、「痛み」「排泄」「死」など陰の氣が集まりやすい場所でもあります。
医師はその中心に日常的に身を置き、“氣を流す”のではなく、“氣を吸収してしまう”状態になってしまっているのです。
ギバーとテイカー:氣は“流れ”を生むか“滞り”を生むか
私が天才的な友人を施術して元気になるのは、彼が“ギバー”だからだと感じます。
ギバーは、自分からも氣を発し、施術者との間に循環を生み出す
テイカーは、無意識のうちに氣を奪う構造を持ち、場を淀ませる
マッサージという行為は、ただ筋肉をほぐすだけではありません。氣の交流そのものなのです。
そしてこの氣の“質”と“流れ”が、施術者にも強い影響を及ぼします。
では、どんな相手でも施術者は消耗してしまうのか?
ここで一つの疑問が生まれます。
「どんなに優れたマッサージ師でも、テイカー体質の人と関わると、やはり疲れてしまうのだろうか?」
結論から言えば、術者の器が未熟なうちは、相手の氣の影響を受けやすいのは事実です。しかし、術者自身の「氣の器」を広げていけば、話は変わってきます。
優れた術者は、“氣の変容装置”になる
ネガティブな氣は、波動として“引っ張る力”を持っています
しかし、器が整った術者は、それを“浄化”し、“循環”に変えていける
これはまさに、氣の錬金術。「奪われる」構造から、「整えて、返す」構造への転換です。
神秘体験や絶対的な“格の高い存在”に出会ったとき、私たちは自然と素直になり、器が広がる。それと同じように、施術者が満ちていれば、相手の中のギバー性=本来の自然な姿を引き出すことができます。
結論:氣の循環をデザインする存在へ
私の仮説はこうです。
真のクリエイティビティとは、氣の器を開き、外からの情報や感覚を受け取る力である。そしてそれは、ギバーとしての在り方と深く結びついている。
日々をただ繰り返すのではなく、誰かのために、世界のために、自分の氣を巡らせる。そのような生き方の中にこそ、創造性の根があるのだと思います。
ただ──
今回私が、ある施術で強い疲労感に襲われてしまったこと。それは、まだ私自身の“器”が未熟で、氣の循環を十分に起こせる状態ではなかったことの現れでもあります。
人の氣に影響されてしまったのではなく、自分の器がまだ受け止めきれなかっただけ。
そう気づいたとき、私は自分の未熟さを恥じるのではなく、「もっと心を高めていこう」と思えました。
より深く、より広く。どんな人の氣にも飲まれず、逆にその人の本質を引き出せるような在り方を目指して。私はこれからも、“氣の循環をデザインできる存在”として、自分を育てていきたいと思います。
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